*greensleaves*のエッセンス日記
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未浄化部分の浄化2
朝の日記の追加です。
昨日のヒーリングクラスでのこと。
もう一つ、気になっていたことがわかりました。
Kさんは、「このクラスで自分のことを言えない人は、植物や動物にいろいろ言っていいですよ~」、と仰いました。そして
「そのために、植物は枯れてしまったり、動物は死んでしまうこともあります。」
愕然としました。うちのウサギがそうだったのです。
「でも、喜んで死んでいってます。なぜなら動物は『無条件の愛』だから。」
もう、大泣きしました。
私は2年前すごく荒れていて、家族のこともうまくいかず、大変な時期でした。
娘はウサギのラビに愛情を注いで、ラビと始終一緒にいていろんなことをラビに話しかけていました。哀しいことも嬉しいことも、すべて、ラビとともにいることで、安心していたのです。
1月中旬に鼻がピクピクしてよく動くな、と思っていたら呼吸が少し早くなり、急に背中が曲がったよう(実際は凄く痩せていった)になっておかしいな、と思っていたら、2月に足がすべるようになって、ちゃんと立てなくなってしまい、動物病院に連れていった時には、お腹の腫瘍が大きすぎて手術は出来ない、あと1日2日の命、と言われたときには愕然としました。
あの子は歯の噛みあわせが悪くて、3ヶ月に一回は病院で歯を削ってもらう作業をするために、しょっちゅう病院に行って血液検査をしてるのに、こんな早くに腫瘍が大きくなるなんて。。。
3日間は娘は高校に行かずに看病してました。単位がどうしても必要だったので、病院に預けて高校に行った日は、持ちこたえてくれてました。仕事から帰ってきた私と娘が迎えに行って、帰ってきたら、ずっと動けなかった子が娘の部屋に行こうとして、歩けない足を動かすので、娘が抱きかかえ部屋に入れて、布団の上に乗せてしばらくしたら、動かなくなりました。魂が離れた瞬間は娘とともにいました。私は悲しくて悲しくて、見てられなかった。
私はそれまで可愛がってあげてなかったことで後悔が残り、娘が学校に行かなかったことに文句を言って娘の気持ちを分かってあげられなかったことに、ずっと罪悪感を持っていたのです。
小さいころ飼っていた猫にも、すごく辛い思い出がありました。
家族は両親と姉、そして祖父母と暮らしていました。
私が小学校4年生のとき突然父が会社から猫をもらってきてチロと名づけて飼いだしたのですが、祖父母は猫が大嫌いでした。
父と祖父とは仲が悪く喧嘩ばかりしていて、何回かお膳の上の魚を取ったチロに腹を立てた祖父がチロを捨てろ、とまくし立てたのです。当然、可愛がっていた私と姉は泣いて反対しましたが、両親もどうしようもなく、チロを捨てることにしたのです。次の日の朝、私と母は父の車にチロを乗せ、遠くの町外れまで行って、ダンボールに餌を入れられたチロを置き去りにしたのです。
その日はご飯も食べられませんでした。そして、後から後から涙が流れてきました。
次の日も食欲がなく、昨日捨てられたチロのことを思って泣いていました。そしたら、チロの声がするのです。空耳かな、と思ったけど確かにチロの声。急いで裏木戸を開けたら、紛れもないチロが、汚れた身体で入ってきたのです。ほんとに嘘みたいでした。こんなに嬉しいことはなかった。奇跡でした。
2日間食べてないチロを抱き、2階に連れて行ってよかった、よかった、と泣きながら声をかけました。チロは餌をがつがつ食べ、水を飲み、死んだように眠りました。
犬なら長い道のりを帰ることがあるというけど、猫がもとの家に帰ることは信じられないけど本当のことでした。チロは10キロ以上ある道のりを帰ってきたのです。嬉しかった。暖かかった。安心した。
それから、祖父母に怒られないように、2階だけで飼うということが許されたのです。遠くにやってもまた帰ってくるから飼うしかない、と母が言ったように思います。母のささやかな反乱かも。
チロはよく外で喧嘩しては帰ってくるという凄い暴れん坊な元気な猫でした。
中学生2年の冬、チロは足の傷がもとで膿んでしまいました。滋賀県の田舎で動物病院もあるかわからないし、私は中学生で何も出来なかった。出来ることは父に何回も病院に連れて行ってほしい、と頼みました。何回も何回も。。
でも、畜生なんかは病院なんか行かなくてもいい、と言って連れて行ってくれなかった。
とうとう歩けなくなった足を引きずりながら、チロはトイレに行こうとする。
足の傷から血が出るのでオロナイン軟膏薬をつけ、舐めるので包帯で4本の足をぐるぐる巻きにしてあげた。
私が石油ストーブの前にかがむと背中に乗ったチロ。
ご飯が出来たと階下で声がして行かないと怒られるので、そーっと背中を起こしたら、足がだめなので倒れてしまったチロ。石油ストーブを消さないと火事なる、といつも言われていたので消したら、寒い部屋でひとりチロはうずくまっていた。背中に毛布をかけてあげた。何もしてあげられなくって、ごめんね。
夜、向かいの家のMちゃんが、○町に病院があるから、と知らせてくれた。
だんだんチロは動けなく、横になってハアハア短い息をしていた。
明日になったら病院にいける、明日になったら。
呼吸がだんだん激しくなっていった。
母は「可愛そうに、可愛そうに」とずっとなでていた。私は見ていられず、横でずっと泣いていた。
真夜中2時ごろ「ギャー」
最期の断末魔の声とともに、チロは死んだ。苦しそうに目を開けたままで。
母は、開いているチロの目をふさげるようになでていた。やっと楽になれたな、と言いながら。
いつも寝るダンボール箱に入れて、ロウソクを立て、お通夜をした。父は仕事の当直でいなかった。時々眠ったが、目を開けると動かなくなったチロがいた。。信じられない、現実と思いたくない現実があった。
あの苦しい叫び声は今でも耳に焼き付いて残っている。
次の日の朝、母と二人で家のお墓の裏に埋めました。
泣いても泣いても涙が出て、泣き腫らした目で学校へ行ったのは3時間目、家庭科でミシンがあり今でも憶えています。
たった4年と少しの命。でも、私はいっぱい優しさをもらった。嬉しいとき、寂しいとき、悲しいとき、辛いときも一緒だった。
ウサギのことだけだった、と思っていたのに、何故か思い出してしまいました。びっくりでした。
先週の金曜日2回と今日音叉ヒーリングセッションをさせてもらったせいもあるかも。
さっきBIOSの岩井さんのブログにコメントを書いて、このブログでも書かないといけない、と思ったのです。
あの時の記憶をたどって、感情を味わう作業。とても、とても、辛いです。
あの時、みんな貧しかった。生活も、心も。
今みたいに動物病院が普通にいっぱいあり、ちょっとのことでも連れて行く、なんていうことは考えられない時代だった。
あれからあとに母に拾われた猫は、祖母にムルという変わった名前を付けてもらい、昼間は誰もいないので、祖母にずいぶん可愛がってもらった。父は前回チロのことがあったせいか、ムルをよく病院に連れて行った。ムルは身体が弱かったが、20年も長生きできた。
もう、終わりにします。まだまだ悲しみは残るけど、きっと終わりにします。
昨日のヒーリングクラスでのこと。
もう一つ、気になっていたことがわかりました。
Kさんは、「このクラスで自分のことを言えない人は、植物や動物にいろいろ言っていいですよ~」、と仰いました。そして
「そのために、植物は枯れてしまったり、動物は死んでしまうこともあります。」
愕然としました。うちのウサギがそうだったのです。
「でも、喜んで死んでいってます。なぜなら動物は『無条件の愛』だから。」
もう、大泣きしました。
私は2年前すごく荒れていて、家族のこともうまくいかず、大変な時期でした。
娘はウサギのラビに愛情を注いで、ラビと始終一緒にいていろんなことをラビに話しかけていました。哀しいことも嬉しいことも、すべて、ラビとともにいることで、安心していたのです。
1月中旬に鼻がピクピクしてよく動くな、と思っていたら呼吸が少し早くなり、急に背中が曲がったよう(実際は凄く痩せていった)になっておかしいな、と思っていたら、2月に足がすべるようになって、ちゃんと立てなくなってしまい、動物病院に連れていった時には、お腹の腫瘍が大きすぎて手術は出来ない、あと1日2日の命、と言われたときには愕然としました。
あの子は歯の噛みあわせが悪くて、3ヶ月に一回は病院で歯を削ってもらう作業をするために、しょっちゅう病院に行って血液検査をしてるのに、こんな早くに腫瘍が大きくなるなんて。。。
3日間は娘は高校に行かずに看病してました。単位がどうしても必要だったので、病院に預けて高校に行った日は、持ちこたえてくれてました。仕事から帰ってきた私と娘が迎えに行って、帰ってきたら、ずっと動けなかった子が娘の部屋に行こうとして、歩けない足を動かすので、娘が抱きかかえ部屋に入れて、布団の上に乗せてしばらくしたら、動かなくなりました。魂が離れた瞬間は娘とともにいました。私は悲しくて悲しくて、見てられなかった。
私はそれまで可愛がってあげてなかったことで後悔が残り、娘が学校に行かなかったことに文句を言って娘の気持ちを分かってあげられなかったことに、ずっと罪悪感を持っていたのです。
小さいころ飼っていた猫にも、すごく辛い思い出がありました。
家族は両親と姉、そして祖父母と暮らしていました。
私が小学校4年生のとき突然父が会社から猫をもらってきてチロと名づけて飼いだしたのですが、祖父母は猫が大嫌いでした。
父と祖父とは仲が悪く喧嘩ばかりしていて、何回かお膳の上の魚を取ったチロに腹を立てた祖父がチロを捨てろ、とまくし立てたのです。当然、可愛がっていた私と姉は泣いて反対しましたが、両親もどうしようもなく、チロを捨てることにしたのです。次の日の朝、私と母は父の車にチロを乗せ、遠くの町外れまで行って、ダンボールに餌を入れられたチロを置き去りにしたのです。
その日はご飯も食べられませんでした。そして、後から後から涙が流れてきました。
次の日も食欲がなく、昨日捨てられたチロのことを思って泣いていました。そしたら、チロの声がするのです。空耳かな、と思ったけど確かにチロの声。急いで裏木戸を開けたら、紛れもないチロが、汚れた身体で入ってきたのです。ほんとに嘘みたいでした。こんなに嬉しいことはなかった。奇跡でした。
2日間食べてないチロを抱き、2階に連れて行ってよかった、よかった、と泣きながら声をかけました。チロは餌をがつがつ食べ、水を飲み、死んだように眠りました。
犬なら長い道のりを帰ることがあるというけど、猫がもとの家に帰ることは信じられないけど本当のことでした。チロは10キロ以上ある道のりを帰ってきたのです。嬉しかった。暖かかった。安心した。
それから、祖父母に怒られないように、2階だけで飼うということが許されたのです。遠くにやってもまた帰ってくるから飼うしかない、と母が言ったように思います。母のささやかな反乱かも。
チロはよく外で喧嘩しては帰ってくるという凄い暴れん坊な元気な猫でした。
中学生2年の冬、チロは足の傷がもとで膿んでしまいました。滋賀県の田舎で動物病院もあるかわからないし、私は中学生で何も出来なかった。出来ることは父に何回も病院に連れて行ってほしい、と頼みました。何回も何回も。。
でも、畜生なんかは病院なんか行かなくてもいい、と言って連れて行ってくれなかった。
とうとう歩けなくなった足を引きずりながら、チロはトイレに行こうとする。
足の傷から血が出るのでオロナイン軟膏薬をつけ、舐めるので包帯で4本の足をぐるぐる巻きにしてあげた。
私が石油ストーブの前にかがむと背中に乗ったチロ。
ご飯が出来たと階下で声がして行かないと怒られるので、そーっと背中を起こしたら、足がだめなので倒れてしまったチロ。石油ストーブを消さないと火事なる、といつも言われていたので消したら、寒い部屋でひとりチロはうずくまっていた。背中に毛布をかけてあげた。何もしてあげられなくって、ごめんね。
夜、向かいの家のMちゃんが、○町に病院があるから、と知らせてくれた。
だんだんチロは動けなく、横になってハアハア短い息をしていた。
明日になったら病院にいける、明日になったら。
呼吸がだんだん激しくなっていった。
母は「可愛そうに、可愛そうに」とずっとなでていた。私は見ていられず、横でずっと泣いていた。
真夜中2時ごろ「ギャー」
最期の断末魔の声とともに、チロは死んだ。苦しそうに目を開けたままで。
母は、開いているチロの目をふさげるようになでていた。やっと楽になれたな、と言いながら。
いつも寝るダンボール箱に入れて、ロウソクを立て、お通夜をした。父は仕事の当直でいなかった。時々眠ったが、目を開けると動かなくなったチロがいた。。信じられない、現実と思いたくない現実があった。
あの苦しい叫び声は今でも耳に焼き付いて残っている。
次の日の朝、母と二人で家のお墓の裏に埋めました。
泣いても泣いても涙が出て、泣き腫らした目で学校へ行ったのは3時間目、家庭科でミシンがあり今でも憶えています。
たった4年と少しの命。でも、私はいっぱい優しさをもらった。嬉しいとき、寂しいとき、悲しいとき、辛いときも一緒だった。
ウサギのことだけだった、と思っていたのに、何故か思い出してしまいました。びっくりでした。
先週の金曜日2回と今日音叉ヒーリングセッションをさせてもらったせいもあるかも。
さっきBIOSの岩井さんのブログにコメントを書いて、このブログでも書かないといけない、と思ったのです。
あの時の記憶をたどって、感情を味わう作業。とても、とても、辛いです。
あの時、みんな貧しかった。生活も、心も。
今みたいに動物病院が普通にいっぱいあり、ちょっとのことでも連れて行く、なんていうことは考えられない時代だった。
あれからあとに母に拾われた猫は、祖母にムルという変わった名前を付けてもらい、昼間は誰もいないので、祖母にずいぶん可愛がってもらった。父は前回チロのことがあったせいか、ムルをよく病院に連れて行った。ムルは身体が弱かったが、20年も長生きできた。
もう、終わりにします。まだまだ悲しみは残るけど、きっと終わりにします。
by greensleaves
| 2008-04-22 22:49
| *ヒーリング
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